世界中にその名が知れ渡っているマクドナルドは、現代のファーストフード産業には欠かせないスピーディーな商品提供の普及に大いに貢献しました。今回は現在の地位を築き上げるまでに至ったその長きに渡る歴史と共に、マクドナルドがこれまで発展してきたその裏側を解き明かします。
前身はホットドック屋、そしてバーベキュー
経済成長の著しい時代のアメリカに一大旋風を巻き起こしたマクドナルドですが、その長きに渡る歴史はニューハンプシャー州のManchester(マンチェスター)という街からはるばるカリフォルニアへと移り住んだマクドナルド一家の二人の兄弟、Richard(リチャード)とMaurice(モーリス)が父のPatrick McDonald(パトリック・マクドナルド)がMonrovia(モンロビア;ロサンゼルス南東部にある街)の空港付近にオープンした「The Airdrome(エアドローム;飛行場)」というホットドック屋を、カリフォルニア州のSan Bernardino(サンバーナーディーノ)群に移設した事から始まりました。
その際店名が「McDonald's Bar-B-Que」と改められたものの、1940年の開店当初はハンバーガー店ではなくバーベキューレストランとして運営されていたそうで、また自動車の普及と共に変わりゆく消費者のニーズに応え「Carhop(車内で注文するとローラースケートなどを着用した従業員が食事を届けてくれて車を停めたままその場で飲食できる)」という形式が採用されていました。
その際店名が「McDonald's Bar-B-Que」と改められたものの、1940年の開店当初はハンバーガー店ではなくバーベキューレストランとして運営されていたそうで、また自動車の普及と共に変わりゆく消費者のニーズに応え「Carhop(車内で注文するとローラースケートなどを着用した従業員が食事を届けてくれて車を停めたままその場で飲食できる)」という形式が採用されていました。
しかしその後ハンバーガーの売上が特に顕著である事に着目した兄弟は、1948年にスピードと手軽さを追求した最新のセルフサービス方式を導入すべく、ハンバーガーをメイン商品に置くなどしてメニューの簡素化を図り、またこの時ようやく現在と同じ「Mcdonald's」に改名されました。
ちなみに余談ですが、彼ら兄弟は引っ越したばかりの頃にハリウッドの映画スタジオで雑用係として働いていたようです。こうした断片的なエピソードからも、当時からいかにハリウッドの映画産業が栄えていたのかを窺い知る事ができますね。
ちなみに余談ですが、彼ら兄弟は引っ越したばかりの頃にハリウッドの映画スタジオで雑用係として働いていたようです。こうした断片的なエピソードからも、当時からいかにハリウッドの映画産業が栄えていたのかを窺い知る事ができますね。
兄弟が創出した驚異の回転率とゴールデンアーチ
この頃には既に「The White Castle」というアメリカ北東部を基盤とするハンバーガーチェーンがFast Food(ファストフード)の提供を先駆けていましたが、マクドナルドはさらなる回転率の増加を見込んで座席を床に固定したり、あえて暖房設備の電源を落としたりなど、顧客を店内に長く留まらせない独自の工夫を凝らす事によって、その普遍化に大いに貢献しました。
そうした新しい業務形態の開拓に加え、今やお馴染みの存在となっているロゴマーク「Golden Arch(ゴールデンアーチ)」も1952年にデザインされ、人々の注目を引きつける上で大いなる効果を発揮しました。ちなみにアリゾナ州のSedona(セドナ)には、この鮮やかな黄色が景観を崩してしまうという理由から、このターコイズ色のアーチを掲げている店舗があるそうですよ。
事業家レイの台頭、そして兄弟との亀裂
1953年には当時ミルクシェーキ製造機の販売に従事していたRay Kroc(レイ・クロック)という事業家が、営業目的でマクドナルドを訪れた際その効率的な商品提供システムに目を付け、兄弟への説得を経てアメリカ全土に向けたフランチャイズ展開の責任者として経営メンバーに加わりました。
彼は1955年にマクドナルド兄弟が覇権を握っていたカリフォルニア州とアリゾナ州を除いて初となる店舗をイリノイ州のDes Plaines(デスプレーンズ;シカゴの近く)に設立すると共に、マクドナルドを法人化しました。
彼は1955年にマクドナルド兄弟が覇権を握っていたカリフォルニア州とアリゾナ州を除いて初となる店舗をイリノイ州のDes Plaines(デスプレーンズ;シカゴの近く)に設立すると共に、マクドナルドを法人化しました。
しかしながら事態は良い方ばかりへは進まず、さらなる事業拡大を画策するレイとそれを望まないマクドナルド兄弟との間に生じた意見の食い違いは、ますます亀裂を深めていきました。そしてとうとう1961年にレイによる買収が決まったマクドナルドは、それ以降大々的な広告活動を通じて、さらにその規模を増していく事となりました。
「マック」か「マクド」か?アメリカでの呼び方
ちなみに日本ですと、マクドナルドは関東で「マック」、関西で「マクド」と呼ばれていますが、アメリカではなんと「Mickey D's」というあだ名が最も定着しているようです。ドナルドとミッキーを入れ替えた理由が気掛かりですし、何よりたいして短縮されていないという事実が疑問符を投げかけてきますね。
何はともあれ世界中で愛称が用いられている事からも、マクドナルドはいかに国際的に愛された存在であるかを窺い知れるのではないでしょうか。なお、フランスでは関西と同様に「McDo(マクド)」と呼ばれているそうですよ。
サンバーナーディーノの店舗は他企業の経営者に所有権が移った事もあり、二店舗とも全く異なる形態のミュージアムとなっているようなので、もし機会があれば双方とも訪れてみるのも楽しいかもしれません。
→特別記事:マクドナルドの発祥の地に行ってきました
何はともあれ世界中で愛称が用いられている事からも、マクドナルドはいかに国際的に愛された存在であるかを窺い知れるのではないでしょうか。なお、フランスでは関西と同様に「McDo(マクド)」と呼ばれているそうですよ。
今も営業中?気になる第一号店の現在は
第一号店となったサンバーナーディーノ郡とレイ・クロックが最初に設立したデスプレーンズのいずれの店舗も残念ながら既に閉業している為、そちらでハンバーガーを食べる事はできません。ただ、現在ではどちらもミュージアムとして改装され、訪れる人々にマクドナルドが歩んできた長い道のりを伝える歴史的なスポットとして今もなお活躍しています。サンバーナーディーノの店舗は他企業の経営者に所有権が移った事もあり、二店舗とも全く異なる形態のミュージアムとなっているようなので、もし機会があれば双方とも訪れてみるのも楽しいかもしれません。
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