スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

白雪姫バージョンの限定オスカー像とは?実は秘密が多いあの金像に迫る

アカデミー賞と聞くと真っ先にオスカー像を思い浮かべる方が多いかと思われますが、このトロフィー自体について詳しい情報をお持ちの方は少ないのではないでしょうか。今回はそんな謎に満ちたオスカー像が誕生した背景とちょっとした豆知識をお送りいたします。 モデルと名前は全くの別人!複雑な誕生秘話  私は渡米するまでこの像はかつて映画界において偉大な功績を残した「オスカー」という名前の方がいて、その方を象ったものだとばかり思い込んでいましたが、残念ながらそれは完全なる誤解でした。なんとこの「 オスカー 」という名前は、1930年代の当時AMPAS( Academy of Motion Picture Arts and Sciences ; アカデミー賞を主催する組織)で司書を務めていた Margaret Herrick という方がこの像が 彼女の叔父に似ている と言った事に由来しているそうです。偶然似ていたこの叔父の方も現在のこの知名度を知ったら、さぞ驚かれる事でしょうね。 そして、この像のモデルとなった肝心の人物はその叔父さんではなく、 Emilio Fernández という名の メキシコ人俳優 だそうで、美術監督でもありこの像のデザインを担当した Cedric Gibbons (セドリック・ギボンズ)がEmilioにヌードモデルをお願いし、そこから着想を得て完成させたのだそうです。つまりオスカーという名前と実際のモデルは一切関係ないという様々な要素が倒錯している変わった像なのです。 ただの土台ではなかった、オスカーの足元 オスカー像の足元には土台のようなものが敷かれていますが、実はこれはただの板などではなく 映画のリール になっており、輻の部分(中心と外輪をつなぐ部分)には五つの輪が空いているのですが、これは先程言及しましたAMPAS設立時に組織を構成していた5つの役職( 俳優、監督、作家、プロデューサー、技術者 )を表しているそうです。 また胸元で握り締められているのは 剣 (十字軍で用いられた剣)だそうで、 映画という財産の保護と業界の発展 を象徴しています。大きさは長さ13.5インチ(約35cm)、重さ8.5パウンド(約3.9kg)で、通常はブリタニアメタルという種類の金属でつくられているそうですが、第二次世界大戦の影響で
最近の投稿

たたいて壊せ!シンコデマヨとピニャータを解説

五月五日と言いますと日本ではこどもの日ですが、ロサンゼルスでもとある祝祭行事があって賑やかな1日になります。それは Cinco de Mayo(シンコ・デ・マヨ)と呼ばれるメキシコに起源を持つお祭りです。 5/5はこどもの日だけじゃない!叩いて叩く謎の奇祭 メキシコに隣接し、メキシコからの移民の方も多いロサンゼルスでは 現地より盛り上がりを見せていま す ! その祭りで何をするか、なのですが代表的なものにピニャータと呼ばれる木などに吊るした箱をただひたすらに叩く、という催しがあるのです。 この箱を手作りする家庭もあるそうですが、最近では様々なキャラクターを形どったものもあって、ピカチューなどの愛らしいキャラクターもあるわけですが、それが無残な姿になるまでボコボコに某で殴るのです。 箱にはお菓子など詰められていて、みなさんこの中身を目当てに容器がこうまでボコボコになるまで破壊活動に及ぶのですが、実はこのピニャータのルーツは意外なところにあるようなのです。 その起源はなんと中国!?「ピニャータ」の長い歴史 まだ真相は明らかになっていないようですが、一説ではその起源は中国にあると言われています。かつて中国では新年(旧正月)を祝う際、彩り豊かに装飾を施された牛やバッファローの形をした容器に種をぎっしりと詰めては様々な色をした棒で叩いて壊し、最後にはそれを燃やして残った灰を幸運の為に保管していたようです。 14世紀頃になると、その慣習がかの有名なマルコ・ポーロによってヨーロッパへともたらされてキリスト教の宗教行事Lent(レント;以前の記事でもご紹介しました)と融合したそうです。 「piñata」という名称の起源となったされるイタリア語「 pignatta 」は「earthenware cooking pot(土鍋)」や「fragile pot(壊れやすい鍋)」という意味があるそうで、当時は粘土でつくられた容器が用いられていた事に関連があるようです。さらにこのイタリア語は「pine corn(松ぼっくり)」を意味するラテン語とつながりがあるそうで、メキシコの伝統的なピニャータの形に付いているとんがり(corn)との関係性が指摘されています。 そして16世紀に大航海時代が到来する共にこの文化がメキシコにもたらされた際

アメリカで病気になったら?役立つ24時間営業の薬局

先日といってもだいぶ前になりますが、ホラー映画の撮影の際に冬だったにもかかわらず終始冷たいスライムを浴びていた為、発熱と蕁麻疹に大変悩まされました。その時に大いなる助け船となってくれたのがアメリカの薬局チェーンでした。今回は個人的な体験からアメリカの医薬品に関して少しご紹介いたします。 突然の体調不良にも安心、アメリカの薬局は24時間営業 撮影後 に突如、 風邪による高熱と全身にわたる蕁麻疹 に襲われた私は、すぐさま近くの薬局へと駆け込みました。ご存知の方も多いかと思われますが、 アメリカでは病院にかかると大変な診察費 を要求されますので、よほど深刻な事態でない限りはできるだけ避けるのが利口です。そうは言っても、症状によっては自然治癒では完治しそうにないという場合もあると思います。そんな時、薬局は大変重宝すべき存在です。しかもこちらの薬局チェーンはありがたい事に 24時間営業 ですから、いつでも気兼ねなく薬を購入しに行くことができます。 日本で使い慣れたものは持参するのがベスト 代表的なのは CVS や Walgreen といった薬局チェーンです。これらで販売されている薬はちょっとした疾患の悩みを解決してくれます。日系スーパーなどに行けば、日本でも馴染み深いブランドやメーカーの薬が手に入らない事もないですが、販売されている地域が限られていますし、輸入の関係によって結構値段が張るのが難点です。 そうは言ってもアメリカのメーカーのものは手軽に入手可能ながら、中には日本人には効き目が強すぎるものもあるので、一番は日本から持参した馴染みの薬かもしれません(正露丸には結構助けられています)。 下調べをして選べばOK!効果的なアメリカの薬 しかし選び方を間違えなければ何の問題もなく使えるものもたくさんあります。私もこれまで肌トラブルや胃腸関係、生理痛など様々な種類を服用してきましたが、割かし副作用もなく十分な効果を発揮してくれているように感じます(とは言え、体質により異なりますので使用の際はその旨ご留意ください)。 なお蕁麻疹に使用した薬はこちらです。体質にもよるかと思いますが、 抗ヒスタミン剤含有のものがおすすめ らしいですよ。何はともあれ、薬の効果もあって即座に完治したので本当に良かったです。 日本からアメリカに来る際は慣れ親しんだ薬

ファーストフード普及の立役者、マクドナルドの歴史に迫る

世界中にその名が知れ渡っているマクドナルドは、現代のファーストフード産業には欠かせないスピーディーな商品提供の普及に大いに貢献しました。今回は現在の地位を築き上げるまでに至ったその長きに渡る歴史と共に、マクドナルドがこれまで発展してきたその裏側を解き明かします。 前身はホットドック屋、そしてバーベキュー 経済成長の著しい時代のアメリカに一大旋風を巻き起こしたマクドナルドですが、その長きに渡る歴史はニューハンプシャー州のManchester(マンチェスター)という街からはるばるカリフォルニアへと移り住んだマクドナルド一家の二人の兄弟、 Richard (リチャード)と Maurice (モーリス)が父のPatrick McDonald(パトリック・マクドナルド)がMonrovia(モンロビア;ロサンゼルス南東部にある街)の空港付近にオープンした「 The Airdrome (エアドローム;飛行場)」という ホットドック屋 を、カリフォルニア州の San Bernardino (サンバーナーディーノ)群に移設した事から始まりました。 その際店名が「 McDonald's Bar-B-Que 」と改められたものの、1940年の開店当初はハンバーガー店ではなく バーベキューレストラン として運営されていたそうで、また自動車の普及と共に変わりゆく消費者のニーズに応え「 Carhop (車内で注文するとローラースケートなどを着用した従業員が食事を届けてくれて車を停めたままその場で飲食できる)」という形式が採用されていました。 しかしその後ハンバーガーの売上が特に顕著である事に着目した兄弟は、1948年に スピードと手軽さを追求した最新のセルフサービス方式 を導入すべく、ハンバーガーをメイン商品に置くなどしてメニューの簡素化を図り、またこの時ようやく現在と同じ「 Mcdonald's 」に改名されました。 ちなみに余談ですが、彼ら兄弟は引っ越したばかりの頃にハリウッドの映画スタジオで雑用係として働いていたようです。こうした断片的なエピソードからも、当時からいかにハリウッドの映画産業が栄えていたのかを窺い知る事ができますね。 兄弟が創出した驚異の回転率とゴールデンアーチ この頃には既に「 The White Ca

競泳プール○○○杯分!スタバの驚くべき牛乳消費量

スターバックスと言えば真っ先にコーヒーを思い浮かべる方が大半かと思われますが、そこに注がれるミルクについて深く考えた事がある方はあまりいらっしゃらないかもしれません。今回は意外と知らないアメリカのスタバで大人気のコーヒー用ミルクについて解説いたします。 何が半分なのか?アメリカで人気のミルクとは  アメリカのスタバではセルフサービスコーナーに大きなミルクのボトルがおいてあります。日本のスタバと比較するとその内容量は三倍以上あるでしょうか。 その中でも、「 Half & Half (半々)」というラベルが貼られた魔法瓶に頻繁に出くわします。これは多いところでは 一つの店舗だけで2~3本おいてあるほど人気 を誇るミルクなのですが、何が半分ずつなのかと言いますと『 ライトクリーム 』と呼ばれる脂肪分が18-30%程度の生クリームを全体の50%を占めるほど加えた牛乳で、 コーヒー用に製造されたと言われています。普通の牛乳より コクが深く、まろやかな味わい を楽しむ事ができます。 なお、 スタバのセルフコーナーには他にも 「 Whole Milk (全乳)」や「 Non-Fat Milk (無脂肪乳)」、 「 2% Milk (脂肪分2%)」などが店舗によって用意されています。また、こうした セルフコーナーには常設していませんが、最近では牛乳由来ではない「 Soy Milk (豆乳)」や「 Almond Milk (アーモンドミルク)」、「 Coconut Milk (ココナッツミルク)」などもカウンターで注文することができます。 年間で競泳プール155個分!スタバが消費する牛乳  そのように新しいタイプのミルクが世間の注目を浴びてきているとは言え、それでもやはりコーヒー用ミルクとしての王道をひた走る牛乳由来のミルクの地位は揺らぎません。 このように何本ものボトルが全て満杯の状態で用意されていたとしても、朝などの通勤客が殺到する忙しい時間帯にはものの数分で空っぽになることがあり、バリスタさんたちも頻繁に補充に当たっている姿しばしば目撃します。 そうした絶大的な人気もあって、スタバではなんとおよそ 9,300万ガロン (約35,200万リットル)もの牛乳が 毎年消費されている そうです。これはオリンピッ

あなたは知ってますか?イースターの起源や祝い方

クリスマスよりも重要な立ち位置を占めるキリスト教の祝祭「Easter(イースター)」を控え、こちらアメリカでは既に一か月ほど前からウサギやひよこがスーパーの菓子売り場を占拠しています。イースターが一体何なのかを知らぬまま、色とりどりに染められた卵だけはなんとなく見覚えがある方も多いかと思いますが、今回はこの重大なイベントがどんなお祭りであるのかを徹底的に解明いたします。 実はクリスマスより古い!真相は未だ謎多き祝祭 イースターは日本では「 復活祭 」と訳されており、その名の通り キリストの復活を祝う日 になります。十字架に磔にされたキリストは埋葬されて三日後に復活を果たしたとされており、キリスト教では「 Holy Week 」と呼ばれるイースター前日までの一週間で彼の磔刑と死を記念し、「 Easter Vigil(イースター前夜) 」に該当する時間帯(前日の日没から当日の日の出まで)よりイースターの祝祭が始まるそうです。 イースターはキリスト教では最古となる祝祭で、今年のイースターは4月16日(日)で行われますが、これはカレンダー上で固定された日付ではありません。 イースターに限らずその前より開始となる一連の祝日はLunisolar(太陰暦)に従って日程が決定される為、現在世界で幅広く用いられているグレゴリオ暦とはずれが生じてしまうのだそうです。これも東方教会と西方教会で考え方が異なるようですが、西方では毎年3-4月あたりを彷徨っているようで、ただ「 Easter Sunday 」とも言われているように毎年決まって日曜日に到来するようです。 『イースター』の語源 そもそもこのイースターの語源になりますが、残念ながら私が予想していた「もっと東(east+比較級-er)」との関係性は全くもってありません。 これには諸説あるそうですが、「 Eostre 」というアングロサクソンの女神の名前に由来しているというのが有力とされています。Eostreの他にあと9個ほど別の名前を持っていたと言われるこの女神ですが、そのルーツは 全て春を意味する「Eastre」にある と考えられているそうです。私だったら自分の名前がそれほどあったなら、幾つかは忘れてしまうかもしれません。 ウサギが卵を産む!?バニーとエッグの関係性 そして最も皆さんが気になるであろ

なぜビールまで緑色に...セントパトリックデーの歴史と緑の謎

Saint Patrick's Day(聖パトリックの祝日)はその名の通り、かつてアイルランドにおいてキリスト教の布教を先駆けた聖パトリックを記念する日で、17世紀にキリスト教の公式なFeast Day(祝日)として定められました。今回はそんなセントパトリックスデーの歴史と起源を紐解いていきたいと思います。 長きにわたる不遇な生活、それを救った神の声 裕福な聖職者の一家に生まれ育った パトリック は、不運にも16歳の時にアイルランドの賊によって誘拐され、それから奴隷生活を強いられます。しかしそうして6年が経過したある日、不意に聞こえた「岸辺に用意された船で逃げよ」という神の声に誘われて脱走を図ったところ、なんとか無事に故郷への帰還に成功したそうです。その後彼はアイルランドへと戻り、異教徒の改宗に努めるべく キリスト教の布教活動に献身 しました。 そんな功績に敬意を表し 彼が亡くなったとされる 3月17日 に 設けられたセントパトリックスデーは、彼の偉業と共に アイルランド文化やキリスト教信仰を讃える日 なのです。 ありとあらゆるものが緑に...でもなぜ? セントパトリックスデーの最大の特徴と言えば緑一色に彩られる街並みでしょう。これは アイルランドのナショナルカラー (その国を表す色)が緑だからという理由なのですが、このイメージは1640年代頃より定着したもので、当時アイルランドを統治していた Irish Catholic Confederation (アイルランドカトリック連合)が掲げていた Green Harp Flag (緑色の背景に白い弦の張られた黄金のアイリッシュハープが描かれた旗)に端を発しているそうです。またアイルランドの国土が緑であふれている事にも関連しているようです。 また「 Shamrock (シャムロック;クローバーなど三枚の葉で構成される草の総称)」もセントパトリックスデーを象徴するのに欠かせない存在となっており、これは聖パトリックが布教活動を行う際にキリスト教における「 三位一体 (「父」と「子(キリスト)」と「聖霊」は一つの存在であるという教え)」を説く為、この三枚の葉を持つシャムロックを用いた事に由来しているそうです。 禁じられたご馳走にありつける待望の一日