Saint Patrick's Day(聖パトリックの祝日)はその名の通り、かつてアイルランドにおいてキリスト教の布教を先駆けた聖パトリックを記念する日で、17世紀にキリスト教の公式なFeast Day(祝日)として定められました。今回はそんなセントパトリックスデーの歴史と起源を紐解いていきたいと思います。
長きにわたる不遇な生活、それを救った神の声
裕福な聖職者の一家に生まれ育ったパトリックは、不運にも16歳の時にアイルランドの賊によって誘拐され、それから奴隷生活を強いられます。しかしそうして6年が経過したある日、不意に聞こえた「岸辺に用意された船で逃げよ」という神の声に誘われて脱走を図ったところ、なんとか無事に故郷への帰還に成功したそうです。その後彼はアイルランドへと戻り、異教徒の改宗に努めるべくキリスト教の布教活動に献身しました。
そんな功績に敬意を表し彼が亡くなったとされる3月17日に設けられたセントパトリックスデーは、彼の偉業と共にアイルランド文化やキリスト教信仰を讃える日なのです。
ありとあらゆるものが緑に...でもなぜ?
セントパトリックスデーの最大の特徴と言えば緑一色に彩られる街並みでしょう。これはアイルランドのナショナルカラー(その国を表す色)が緑だからという理由なのですが、このイメージは1640年代頃より定着したもので、当時アイルランドを統治していたIrish Catholic Confederation(アイルランドカトリック連合)が掲げていたGreen Harp Flag(緑色の背景に白い弦の張られた黄金のアイリッシュハープが描かれた旗)に端を発しているそうです。またアイルランドの国土が緑であふれている事にも関連しているようです。
また「Shamrock(シャムロック;クローバーなど三枚の葉で構成される草の総称)」もセントパトリックスデーを象徴するのに欠かせない存在となっており、これは聖パトリックが布教活動を行う際にキリスト教における「三位一体(「父」と「子(キリスト)」と「聖霊」は一つの存在であるという教え)」を説く為、この三枚の葉を持つシャムロックを用いた事に由来しているそうです。
禁じられたご馳走にありつける待望の一日
そしてセントパトリックスデーはちょうどキリスト教のLent (四旬節;年により日付は異なりますが大体三月前後)という時期に重なっており、かつてこの間は全日とも厳戒な食事節制を行わなければならないしきたりがあったそうなのですが、このセントパトリックスデーはその制限が解除される唯一の日だったそうで、そうした歴史が現在の祝祭の根幹をなす豪華な食事と飲酒の促進剤となったようです。
現在は規則が緩和され、この四旬節の時期であってもこの節制は初日と最終日に加え、毎週金曜日のみというように変わったそうですが、今年は残念ながら金曜日にぶつかる為、地域によるようですが司教が先立ってセントパトリックスデーにおける節制の一時解禁を特別に許可した司教区もあるようです。祝祭の際にはご馳走をたらふく食べてはお酒をがぶがぶ飲んで盛り上がりたい気持ちは全世界共通なのでしょうね。
教会関係者にとってはちょっとした一大事でしょうが、一般人の視点では翌日の事を考慮すると金曜日は最適かもしれません。これが日曜日だったとしたら次の日の会社を休む方が増えそうですからね。
ビールまでも...緑一色に染まるアメリカのスーパー
メーカーや小売業者が行事、世相の関心に乗っかって関連商品を取り上げたり期間限定のものを販売したりなどする光景をよく目にしますが、こちらアメリカではセントパトリックスデーももちろん例外ではありません。
例えばスーパーやドラッグストアなどでは緑色のパッケージで包装された菓子類やシャムロックのデザインを伴った各種グッズやおもちゃが店内の陳列棚を一部占拠したり、デパートの衣料品コーナーではスヌーピーやディズニーのキャラクターたちとコラボしたデザインTシャツが販売されていたりします。たとえ購入せずとも、そういった商品を見て回っているだけでとても気分が高揚します。また一部のマクドナルドではこの時期だけシャムロックシェーキという特別商品を期間限定で販売されているようですよ。
世界中へ遍く普及した祭典、伝統との葛藤
そうした祝祭の商業化が人々の関心を引くのに一役買っては世相をさらに盛り上げてくれる一方で、クリスマスなどに特に顕著な現象ですが、伝統ある敬虔な宗教的祝祭が世界中に流布された結果、外部で模倣され次第に変質していく事によって、その本来の目的や意味を失って形骸化してしまう事を批判する声もあります。
当初は教会などで行われる畏まった質素な集会だったセントパトリックスデーも、ただ単に派手で賑やかなイベントへと変貌したり、さらにそれによってアイルランドに対する否定的な固定概念やマイナスのイメージを植え付けてしまったりするのではないかとの懸念から、現行の祭典の在り様に対して否定的な見方をされる方もいらっしゃるそうです。
確かに世界中の人々に共有されて祝われるのは喜ばしいですが、それでも格式ある伝統は残存されるべきだと思いますし、非常に難しい問題ですね。
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